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亀戸天神社

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御祭神・由緒

亀戸天神画像
御祭神

ご縁起

五歳の菅公像
五歳の菅公像
 菅原道真公をお祀りする当社は下町の天神さまとして広く知れわたり、多くの方々に親しまれております。
古くはご本社にあたります九州太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」と称されておりましたが、明治6年に東京府社となってより亀戸神社と号し、昭和11年に現在の亀戸天神社と正称いたしました。

正保三年(1646)九州太宰府天満宮の神官でありました菅原大鳥居信祐公(道真公の末裔・亀戸天神社初代別当)は神のお告げにより、公ゆかりの飛び梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもって、遠くは日光または盛岡などの諸国を巡り歩かれ 、そして江戸の本所亀戸村にたどり着かれ、村に元々ありました天神 の小さなほこらにご神像をお祀りいたしました。
当時徳川幕府は、本所の町を、江戸の大半を焼き尽くした明暦大火の被害による復興開発事業の土地とさだめ、天神様を篤く信仰していた四代将軍家綱公はその鎮守の神様としてお祀りするように現在の社地を寄進されました。
そして、寛文二年(1662)10月25日に太宰府の社にならい、社殿、回廊、心字池、太鼓橋などを営み、以来約350年後の今日まで東国天満宮の宗社として崇敬されてまいりました。
かふたちてさかふる梅の若枝かな  開基別当  菅原大鳥居信祐発句

「かふ」は「十」の文字を書くべしとお告げがありました。
「かふたち」とは、「株立ち」のことで1本の根株から叢生する草木のことで、株とは、太宰府天満宮を指す。
すなわち株から十本の若枝を伸ばすようにというご神託です。
その後、太宰府の飛び梅の枝で天神像を彫り刻み、これを笈に負い、遠祖道真公を奉斎すべき地を諸国に求めて巡歴されたと伝えられております。
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